2018年、3年半ぶりのシングル「U.S.A.」が大ヒットし、再ブレイクを果たしたDA PUMP。

8月1日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、そんな彼らが再ブレイクを果たすまでと、抱いてきた2つの夢を叶えるまでの道のりに迫った。

人気に陰り、メンバー脱退、ISSAのけが…

1997年、沖縄出身の4人組グループとしてデビューしたDA PUMP。

オーディション番組『ASAYAN』のテーマ曲に、デビュー曲「Feelin’Good~It’s PARADISE~」が起用され、本格的なストリートダンスとISSAさんのハイトーンボイスで瞬く間に大ブレイク。

デビュー翌年には紅白歌合戦に出場。超人気者となった彼らは、3ヵ月に1枚というハイペースでCDをリリースし、2000年に発売した「if...」はグループ最大のヒット曲に。

彼らの活動は音楽だけに止まらず、ISSAさん主演の映画が公開され、バラエティー番組にも出演するなど、人気は絶頂を極めた。

しかし、その勢いは長く続かず、人気に陰りが見え出すと、2006年のメンバー脱退で4人から3人体制になった。

そんな中、復活を期した10周年の記念ライブの開催が決定。4年ぶりのライブということもあって、ISSAさんも並々ならぬ決意を持ってリハーサルに臨んでいたが、バク宙の着地に失敗し、右大腿骨転子下を骨折。

人間の体を支える大腿骨転子下は骨折すると、骨がつきにくく治りにくいのが特徴で、まひが残り、寝たきりの原因になることもあるという。

このけがにより、全治6ヵ月の重傷を負ったISSAさん。この時、医師からは「二度と踊れないかもしれない」と宣告され、復活を懸けた4年ぶりのコンサートは中止となった。

さらに追い打ちをかけるように、同じ年にはもう一人のメンバーが脱退し、DA PUMPは2人に。デビュー以来、最大の窮地に立たされたISSAさんは、自らメンバーをスカウトし始めた。

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スタジオにもDA PUMPのメンバーが登場し、当時を振り返った。

番組MCの坂上忍が、今も足に後遺症が残っているというISSAさんのけがについて触れると、「ライブ中はアドレナリンが出ているので感じないんですけど、終わった後は歩き方がひどくなっていたり。一応、ケアはしているんですけど」と明かすと、ゲストの大久保佳代子さんは「そんな大けがをされていることも知らなかった」と驚きを見せた。

また、今のメンバーをスカウトしたことについてISSAさんは「当時はみんな、それぞれストリートのダンスチームもあったり、いろいろな大会で優勝したり、ダンスの先生をしていたり、収入もあったのが急に何もなくなる状況だった」と現メンバーが安定した生活を捨てる覚悟を持ってDA PUMPに加入してくれたことを感謝していた。

またメンバー脱退…解散の危機に直面

2008年、新メンバー7人が加入し、9人の新体制でスタートしたDA PUMPだが、絶頂期ではありえない現実が待っていた。

再スタートからわずか1年で結成当初からのオリジナルメンバーまでもが脱退。こうして、DA PUMP結成メンバーはISSAさんだけとなった。

しかもこのメンバーで発売したCDの売上枚数はわずか2300枚。3ヵ月に1枚はCDを出していたグループが、再スタートしてからは3年に1枚というペースに低迷。

グループのゴタゴタが影響してか、2013年にはファンクラブまで終了した。

新メンバー加入から5年、この間に行ったライブはわずか1回。そんな中、2014年にはまた1人が脱退し、現在の7人体制に。DA PUMPはまさにどん底の状態だった。

YORIさんは、「メンバーが抜けていったことは、自分の中で一つ一つ衝撃で、これからどうなっていくのだろうという不安が。一人抜けていくたびに不安も大きくなって…」と当時を振り返った。

活動休止状態の中、リーダーであるISSAさんと大きな溝が生まれ、メンバーはコミュニケーションを取ることもままならなくなってしまう。

CDも出せない、ライブもできない、パフォーマンスもできない…メンバーの不満は爆発寸前となり、DA PUMPは解散の危機に直面した。

この時、沖縄に帰り東京にほとんどいなかったというISSAさん。コミュニケーションを取らなかったことについて、坂上が「メンバーを誘ったのはあなた自身でしょ?」とツッコむと、ISSAさんは「自分の中にもいろいろなことがありすぎて。単純な自分の問題だったり。そういうことでみんなや事務所に会わせる顔もなく、一度、自分って何だろうと思い始めて」と当時抱いていた苦悩を明かした。

同じように、実家へと帰ってしまったYORIさんは当時の心境を「空白の時間がキツすぎた。(自分の)同世代は当時一番活動している時期で、世界中の大会に出たりしているときに、俺はここで何をしているんだろうと。それが大きくなりすぎて、本当に自分がどうしたいのか考えようと思っていたら、もう一人のメンバーから『辞める』と電話が来て、その時に、今(辞めるのは)自分のタイミングではない」とかろうじて踏みとどまったという。

さらに坂上は「ISSA君がソロ活動に向かう道もあったと思うんですけど」と問いかけると、ISSAさんは「言われたこともありました」とし、「もともとは4人でDA PUMPというグループを世の中に知ってもらえて、自分の名字みたいなものなんですよね。だから、『ISSA』というより『DA PUMPのISSA』というのが自分の中にあって、最悪一人になってもそう言っていこうと思っていた」と、DA PUMPというグループへのこだわりを明かした。

こうした中途半端な状況の中、2014年、ISSAさんを囲みメンバーだけの会議が開かれた。解散か?存続か?今後DA PUMPをどうするつもりなのか?重苦しい空気が漂う中、メンバーはISSAさんに本音をぶつけたという。

それぞれの心の叫びを聞き、ISSAさんが出した答えは「もう一度、みんなと一緒にやっていきたい」。この瞬間、DA PUMPは一丸となって再スタートを切ることになった。

この時、KENZOさんは「どんな小さくてもいいからステージに立ちたいんです」と思いをぶつけ、数々の大舞台に立ってきたISSAさんに勇気を出してショッピングモールでの無料ライブを提案した。

ISSAさんの答えは「これやろう」。全員一致でショッピングモールライブを行うことが決まった。

このエピソードを受け、坂上が「もし、『ごめん、できない』と言っていたらどうなっていた?」と問いかけると、ISSAさんは「このグループが存在していないかもしれないですね」と返答。しかし、U-YEAHさんは「でも、『やる』って言うと思っていました。俺たちの熱を感じてもらっていたと思うので」と断言した。

「武道館のステージに立ちたい!」

新たな決意を胸に、DA PUMPは全国のショッピングモール14カ所を巡る無料ライブを決行。メンバーが集まってライブをするのは、実に3年ぶりのことだった。

今から5年前に行われたショッピングモールライブの初日。その様子を密着取材したフジテレビ「ノンストップ!」の映像には、会場の設営などを自分たちで行うメンバーの姿が残されていた。

セットもステージもない、かつて武道館を満員にしたDA PUMPからは想像もつかない舞台だったが、それでもライブ終了後は日が暮れるまで握手会を行った。

地道な努力を続ける中、彼らは「いつか武道館のステージに立ちたい」と大きな夢を抱くようになる。だが、その夢をショッピングモールのライブで語ると観客から笑い声が聞こえるなど、世間の評価は厳しかった。

YORIさんはこうした反応について「(武道館でライブをしたいと言うと)本当に前の人が『ないない』という反応だったんです。それが悔しくて、だったら絶対にやってやる、という気持ちはあった」と、悔しさをバネに地道な活動を続けていた当時の気持ちを振り返った。

そして2018年、彼らが巡り会った曲が『U.S.A.』。

3年半ぶりのシングルで、インターネットでの視聴回数は1億8千万回を超え、日本レコード大賞で優秀作品賞を受賞。日本に『U.S.A.』旋風が吹き荒れた。

全盛期を超える人気で復活を果たしたDA PUMPは、この年の年末、16年ぶりに「NHK紅白歌合戦に出場する」という夢を叶える。そしてもう一つ、「武道館のステージに立つ」という夢が今年7月実現することになった。

ISSAの“こだわりのルーティン”

17年前のライブを最後に遠ざかっていた武道館。そのステージに再びISSAさんを連れて行くというメンバーの願いがついに叶う時が来た。番組では念願の武道館に立つDA PUMPたちに密着した。

前日のリハーサルでは、ISSAさんはセットに設置した大掛かりな仕掛けのチェックをしていた。ステージ上に桜吹雪が舞う演出で、ダンスを踊るメンバーたちが足を滑らせないかを綿密に確認。その作業は深夜まで続いた。

本番当日、どのメンバーよりも早く現場に来たのはISSAさん。そこには、芸能生活23年のISSAさんならではの“こだわりのルーティン”があった。

まずは、ぜんそくや花粉症予防などに使われる吸引器でボーカルの命である喉を潤すこと。

そして、風邪でもないのに常にマスクを着用。これはDA PUMPのルールで、ISSAさんだけではなく他のメンバーも常にマスク姿。その理由をKENZOさんが「普段から着用することで酸素が薄くなるんです。ライブの時に体力が持ちますよ」と明かした。

続いて、ISSAさんはマッサージへと向かう。2008年の骨折以来、後遺症を抱える右足をかばって歩いているISSAさんにとって、15年間にわたりISSAさんの体と向き合うトレーナーのマッサージは欠かせないのだ。

そして、ケータリングにもこだわりが。ISSAさんは、スタッフも食べるケータリングのメニューの一つ一つについて、担当者と打ち合わせて自ら決めているのだという。

開演10時間前に現場入りするのは、ISSAさんがこのルーティンを大切にしているためなのだ。

17年前とファン層も変化

DA PUMPにとって17年ぶりの武道館ライブだが、11年前に加入した現在のメンバーは初めての武道館。

TOMOさんは「人のライブに来ることはあっても、自分たちのライブは初めてですから。気持ちが高まっています」と笑顔を見せた。U-YEAHさんも「緊張しないと思っていたけど、一睡もできなかった」と話した。

開演1時間前の武道館には、1万人の観客が集まった。その観客は17年前とは大きく客層が変わっていた。

今のDA PUMPの人気を支えているのは、デビュー当時にファンだった親世代と『U.S.A.』のヒットで好きになった子どもたち。そのため、観客席には子どもたちが踊って楽しめるようにファミリー席が設けられている。

いよいよ本番が迫る中、DA PUMPではライブ前に「気合入れ」と呼ばれる円陣を組むことになっているが、円陣の真ん中にはISSAさんではなく、小柄な男性の姿が。

リーダーであるISSAさんを差し置いて、メンバーの中心で気合い入れをするこの男性は、26年前、大ヒット曲『Bomb A Head!』を歌った、歌手で音楽プロデューサーのm.c.A・Tさん。

DA PUMPのプロデューサーとしてデビューから長らく作品の作詞作曲を担当し、20年以上、DA PUMPの紆余曲折を見てきた、いわば親のような存在だ。

m.c.A・Tさんは「30年以上、音楽活動をしているけれど、再ブレイクというドラマは初めて見ました。本当に驚いたし、感動しました。新メンバーが入っても、なかなかヒットにつながらなかったんですけど、まさかの『U.S.A.』でヒットというのも感動しました」と、誰よりもDA PUMPの武道館公演を喜んだ。

解散危機を乗り越えたメンバーの思いが詰まった感動のライブは『U.S.A.』から始まり、親世代が大興奮の名曲や、今では小学校の運動会で定番となっているという『ごきげんだぜっ!〜Nothing But Something〜』など、親子揃って楽しめるラインナップに加えて、新曲の『P.A.R.T.Y.~ユニバース・フェスティバル~』も披露。

最後にISSAさんは「本当に、本当に、ありがとうございました。これからも自分たちの歩幅ですが、一歩一歩、未来につなげられるように頑張っていきますので、応援よろしくお願いします」とメッセージを送り、大熱狂のうちにライブは終わった。

武道館には、DA PUMPを長年見守ってきた事務所の先輩である荻野目洋子さんや、ISSAさんと同じ沖縄出身のMAX、さらにDA PUMPのメンバーがダンスを指導した教え子たちも駆けつけた。

ファン層の変化に坂上は「若い人たちに人気と思っていたけど、(『U.S.A.』のヒットで)ファミリーで楽しめるようになった。そうしたファンを相手にISSA君はじめ、みんなが違和感ない。良い感じで年を重ねているから、無理がないというか。新曲の“バイーンダンス”も若いときだったら格好良かったかもしれないけど、今は若干コミカルで」とコメント。

するとISSAさんは「『U.S.A.』で一つ、今までの俺らの皮がむけたというか、楽しまなきゃ損という境地に至った」と明かした。


(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)

直撃!シンソウ坂上
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