新装開店の薬局が半年で倒産寸前に陥ったわかりやすい理由
薬剤師の渡邊輝さん(40)の両親は浅草でラーメン店を経営している。子供のころから間近で見ていた親は、肉体労働に疲れ、病気がちだった。だから、何かあったら、自分が助けるしかない。そのために薬剤師か医者になりたい。渡邊さんは中学生の頃の、そうした純粋な思いを胸に、社会に旅立ち、薬剤師の資格を得て順天堂大学に勤務するようになった。
しかし、いざ勤務してみると、患者との付き合いは患者の病気が治ったら終わり。あとはひたすら調剤する日々。薬剤師として、もっと患者を深く知り、向き合っていきたい。その思いは月日を追うごとに強くなり、迎えた2008年。東京・中野に警察病院が移転すると知り、これは、薬局を設立し長く患者と向き合うチャンス、と捉え、貯金1500万円を元手に警察病院前に「なごみ薬局」を設立した。
7軒並ぶ薬局のいちばん端に位置した「なごみ薬局」。患者を外で待たせるわけにはいかない、と、店先にたくさん椅子を並べた。
しかし、患者はまったく来なかった。
患者は、警察病院を出てすぐ目の前の薬局に次々と吸い込まれていき、いちばん出口から遠い自分の薬局にまでたどり着かなかったのだ。
1500万円あったキャッシュは半年で50万円に。倒産寸前に陥った。
しかし、この薬局が、やがて介護に携わるひとたちのよりどこになるのだから、物語はわからない。
薬の届け先 80代の女性が家の中にいるはずなのに・・・
彼の経験則によれば、50回に1回くらい、薬の服用方法など処方箋の内容が適切でないと感じることがあるという。だから、少しでもおかしいと思えば、直接医者に問い合わせ、さらに、患者の症状から別の新しい薬を医者に提案した。
やがて、医者の間で「なごみ薬局」は評判になり、患者たちにも口コミで広まり、商店街に広まり、ちかくの老人ホームに広がり、どうにか軌道にのることができた。薬局の設立から3年が経っていた。
「介護は患者の未来をつくること」
そう信じて、患者に寄り添う薬局を運営。その後、より地域に密着する薬局を目指し、薬を自宅に届けるサービスも始めた。
この訪問サービスでのある日の出来事が、彼の考えを大きく変えることになる。
いつも訪れる80代の女性宅。インターホンをならしても反応がない。事前に約束をしていたのにもかかわらず、中から物音すらしない。窓から中をのぞいてみると、女性が倒れているのが見えた。ドアノブに手をかけると、カギがかかっていなかったため、急ぎ家の奥に入ると女性は尿にまみれた状態で倒れていたのだった。119番して、女性は病院に搬送された。肺気腫による呼吸困難の症状があった彼女は、彼のとっさの対応のおかげで一命をとりとめた。
しかし、このとき渡邊さんは、薬を届けたり、薬局を経営しているだけでは「このばあちゃんは幸せにならない」と、無力感に襲われた。
さらに急遽、この場にソーシャルワーカーとともに駆けつけてくれた女性看護師が追い打ちをかけた。
本来吸うべき薬を飲ませたり、冷蔵庫で保管すべき薬を外に出しっぱなしにしたりと、薬の扱いが間違いだらけだったのだ。
「介護は、関わっているひとをトータルでケアしないと、全員が笑顔にならない」と強く感じたのだった。しかし、どうしたら、全員をケアできるのだろうか。
20人の枠に100人が応募する「薬局カフェ」に
「未来をつくる」という大きなテーマで、介護に携わる関係者が集う「介護カフェ」の存在を知ったのはちょうどその頃だった。自身も参加してみると、正解のない介護の世界において、それぞれが実体験に基づく意見を交わしていた。
介護は「孤独な仕事」といわれている。向き合うべき患者は十人十色で、対処方法にきまったパターンがあるわけではない。しかし、それを相談したり、時に愚痴を言ったり、改善策のヒントを得たりなど、たとえば会社勤めのサラリーマンが同僚や部下、上司といった“仲間”とするような交流のようなものが、なかなかない。そして、人間関係に悩み、離職してしまうケースが多い。
しかし、このカフェは、ありそうでなかった、そういう交流の場を提供していた。そして、それぞれがそこからヒントを得て現場の仕事につなげていた。これならば、自分にもできるのではないか、と、この「介護カフェ」でカフェ運営のノウハウを教えてもらい、薬局をカフェにしてみることにしたのだ。
毎月月末、薬局を「介護カフェ」にして、そのときのテーマに沿う講師に来てもらい、参加者たちと話しあう。「1年は頑張ろう」と思い開催してみると、20人の参加者枠に応募が100人以上。それだけ、このような場を必要としている悩みを抱えた介護者たちがいるということだった。
特に「緩和ケア」をテーマにしたときは白熱した。答えが見つけにくい問題こそ、その場が提供されている意味があった。
同僚との人間関係に悩みうつ病を発症し、介護の現場から離れていた30代の看護師の女性が「カフェを通じて自分を見つめ直すことができた。もう一度、現場に戻ろうとおもった」と声をかけてくれたとき、この活動は社会にとってよかったのだと、心から思えたそうだ。
実体験に勝る情報はない。介護に関わる本も出版されているが、出版までに時間がかかるし、インターネットでは検索しても出てこない情報がある。人の生き死に関わる思いや考えともなるとなおさらだ。
こうして「なごみ薬局」は地域密着をすすめながら、かつ、月に一度、介護の最前線で働くひとたちが集う場へと変化したのだった。倒産寸前の事態から10年が経っていた。
保険外サービスで生活の質の向上を
介護カフェは自分自身を見つめ直す場にもなった。自分にないものや悪いものを、おなじ現場で働く人たちの考えを通じて、自覚することができた。
そして、そこから得たさまざまな情報、ヒントから、彼はいま「患者の未来」をつくるために「おでかけ介護サービス」をスタートし、力を入れている。介護を必要とする人が買い物や散歩など「おでかけ」をしたいとき、その付き添いは保険外になる。しかし、その保険外のサービスこそが、患者の生活の質を上げていくことにつながるのではないか、と感じたからだ。1時間3500円。大手の同じサービスより低価格を目指した。
これに力を入れるため、カフェは1年やりきって、ひとまずいま休みにしている。
答えのない「介護」の世界において、「こうしたらいい」という特効薬は、そうない。派手な解決策があるわけでもない。地道にひとつひとつ、対処していくしかない。しかし、ひとりでは悩みを抱え込み「たこつぼ化」してしまうという。彼は、このカフェを通じてひとつの答えを見いだしたし、実際に救われた参加者もいたのだ。
彼は介護カフェを通じて得たおもいをこう語る。
「誰かが一歩を踏み出さなければ、不幸な現実は1ミリも変わらない。しかし、やれば誰かしらちゃんと助けてくれる。行動すれば、社会が味方になってくれる」
渡邊さんが出会った本家本元の「kaigoカフェ」(ケアマネジャー・高瀬比左子代表)はもちろん、いまも月に一度のペースで続いている。そしてその参加者が、地元で「カフェ」を開催するなど、動きは広がりをみせている。
もし介護の現場で悩むことがあれば、ひとりで悩まず、一度参加してみてはいかがだろうか。事態は1ミリずつかもしれないが、着実に前に動いていくことを彼が証明している。
ちなみに彼はアントニオ猪木のファンである。好きな言葉は「元気があればなんでもできる。一歩踏み出せば道になる」
思いはすこし猪木さんに感化された感はあるが…彼はいまも、一歩ずつ着実に前にむかって歩みを進めている。
(執筆:フジテレビ プライムオンラインデスク 森下知哉)