玄海原子力発電所1号機に“原子の火”がともってから今年で49年です。玄海町の予算のうち原発関連の収入は約6割を占めるなど、町や町民はこれまで原発と共に歩んできました。

さかのぼること49年前、1975年に玄海原発1号機は稼働しました。その後、電気エネルギーの需要の増加に伴い2号機から4号機まで建設され、九州最大の発電所となった玄海原発。
玄海町にとっていわゆる「原発マネー」は町政を運営する大きな財源となり、多くの町民の生活から切り離せない存在です。

【漁業者】
「今まで出稼ぎに行ったりしていたのが原子力発電所ができたので、いくらかでも働き場所ができた。みんな全部賛成ではなくても肯定的に受け入れている」

今年度の当初予算は99億8000万円。このうち約6割は国からの交付金や使用済み核燃料税など原発関連の収入となっています。県内で唯一、自らの税収だけで財政運営できる地方交付税の「不交付団体」です。
町の面積は約36平方キロメートル。最終処分場が建設されれば地下の“3分の1”を占めることになります。

【玄海町民】
「処分するやつ(廃棄物)がいっぱい溜まってる。どこに持って行きようもない。これ以上溜められない。処分場を造るのは間違いなく必要」

一方、脇山町長は「住民がほとんど地下埋設場の上で生活するような状況」と懸念を示していました。文献調査の受け入れが決まり、約5000人の町民は“核のごみ”の議論とどう向き合っていくのでしょうか?

サガテレビ
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