尾畠春夫さん 大分県の聖火ランナーに
辺りがまだ薄暗い日の出前、“スーパーボランティア”の尾畠春夫さんは日課としているランニングをしていた。体力や健康維持のため、15年ほど前から続けている。
ーーことしは走る一大イベントがありますが?
尾畠春夫さん:
何があったかな?(笑) あの鉄の棒みたいな持って走るの?(笑)
尾畠さんがお得意のジョークで「鉄の棒」と語っているのが、オリンピックの聖火を運ぶトーチ。
尾畠さんは2020年4月、聖火ランナーとして、大分県内を走ることになった。前回の東京オリンピックが行われた1964年、尾畠さんは当時25歳。自分の店を開くため、兵庫・神戸市の鮮魚店で修業していた。
尾畠春夫さん:
あのときなんか、オリンピックの「オ」の字も興味がなかったな。明けても暮れても修業、修業、修業だったから
その後も、オリンピックは自分とは関係ないものと思っていたが…
尾畠春夫さん:
何で自分に指名されたのかなと思った、一瞬。わたしに聖火ランナーの話を持ってきたのは、日出町役場の総務課の松本さん
「断る必要ないと...」ボランティアで共に汗を流した“交渉役”
その松本さんに会うため、日出町役場へ。
ーー松本さんでいらっしゃいますか?
日出町 松本真二さん:
はい、そうです。
総務課の松本真二さん。
日出町 松本真二さん:
オリンピックの1つの方向性で、「復興」というのが挙げられているので、尾畠さんはぴったりかなと思っています
町では、尾畠さんを聖火ランナーに推薦することを決めた。しかし、華やかなイベントを遠慮しがちな尾畠さん。そこで、面識があった松本さんに交渉役の白羽の矢が立った。
日出町 松本真二さん:
僕もダメ元だったので、お話をして、すぐに「いいよ」と言ってくれたので、「あれっ?」と
その理由について尾畠さんは…
尾畠春夫さん:
泥をかぶって(ボランティアを)一緒にやった仲だから、この人の言うことは断る必要はないなと思ったから
実は松本さんは2018年、西日本豪雨の被災地で災害ボランティアに参加していて、尾畠さんとは共に汗を流した仲だった。
ーー松本さんじゃなかったら断っていた可能性あります?
尾畠春夫さん:
断っていただろうな
日出町 松本真二さん:
そこは、もう恐縮するだけですね。尾畠さんが走っている姿を見た人が、それに元気をもらうとか、勇気をもらうというか、そうなってもらえれば
尾畠さんに届けられた多くのエール 「心からうれしい」
こうした期待を寄せるのは、松本さんだけではない。尾畠さんにことし届いた年賀状には、「聖火リレー頑張ってください」といったエールの言葉が多くつづられていた。
尾畠春夫さん:
うれしいです、本当にうれしい。心からうれしいわ
復興五輪を掲げる東京オリンピック。尾畠さんは、その思いを胸に聖火を運ぶ。
尾畠春夫さん:
やるからには、みんなが喜ぶようなことをやらせてもらおうかなと思って
(テレビ大分)