富山の自然の魅力を発信

標高3,000メートル級の急峻な山々に囲まれた富山県。一方で日帰りで登れる低山も多く、バラエティーに富んでいる。

富山テレビは、2016年から日帰り登山の楽しみ方を伝えるシリーズ「みんなの山歩き」をスタート。2020年は、ガイドブック「みんなの山歩き 新越中百山」も出版した。
また、毎年夏には、剱岳一帯や水晶岳~高天原など北アルプスを縦走し、山頂から中継したり番組を制作したりと、富山の自然の魅力発信に取り組んでいる。

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富山テレビ・矢野美沙アナウンサーは、こうした企画でリポーターを担当している。
県外出身で、もともと登山には全く興味がなかったそうだが、入社後ほどなくその雄大さに魅了され、すっかり「山ガール」…今や「山女」に。仕事でもプライベートでも山を歩いている。
2019年の夏、取材クルーは富山から黒部川源流域を経て、槍ヶ岳へと向かった。

“日本最古のアルピニスト”播隆上人

長野と岐阜にまたがる槍ヶ岳は、実は富山にゆかりのある山。約200年前、富山生まれの修行僧・播隆上人(ばんりゅうしょうにん)が開いた。生涯を信仰登山にささげた播隆は何を思い、願い、槍の穂先を目指したのか…

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
錫杖(しゃくじょう)を手に、遠くの峰々を見つめる僧侶の姿。富山市大山地区で生まれ、槍ヶ岳を開いた播隆上人の銅像です。“日本最古のアルピニスト”とも呼ばれています。今回はその播隆が開山した槍ヶ岳を富山から目指します

縦走は6日間。黒部川源流域へと続く、富山市有峰の「折立登山口」から出発した。
ガイドとして同行してもらったのは、佐伯知彦さん。2019年5月には、富山県人として初めて世界最高峰・エベレスト登頂に成功した「サミッター」。

ルートはまず、太郎平から北ノ俣岳を経て、黒部五郎岳のカールへ向かう。
そして、富山・長野・岐阜の3県にまたがる三俣蓮華岳を超えて双六岳へ。
そこから西鎌尾根を進み、槍ヶ岳を目指した。

岩が“ゴロゴロ”の黒部五郎岳 雄大なカール地形を歩く

1日目は、太郎平小屋に宿泊。
7月とはいえ、夕方の気温は11度。温かい食事をいただいて、翌日からの縦走に備えた。

2日目。朝は小屋恒例のラジオ体操からスタート。
登山者の安全のため、主人の五十嶋博文さんが25年前から続けている、太郎平の夏の風物詩。
五十嶋さんは、スタッフや登山客から親しみを込めて「マスター」と呼ばれている。
マスターは、ここから槍ヶ岳へのルートを「西銀座コース」と名付け、以前は、ガイドマップにもそのように掲載していたことがあるとか。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
お世話になりました!

マスターに見送られながら、午前7時半に出発。

太郎平から北ノ俣岳、そして黒部五郎岳に続く稜線では、黒部川源流域の山々を一望することができる。

これらの頂は、約200万年前から活発化した火山活動などによってつくられたと考えられている。
さらに、雪や氷が岩肌を削り、険しい地形を生み出した。この山々の水を集めて流れるのが黒部川。源流部は、いまだ手つかずの自然が残る、日本最後の秘境と呼ばれる場所。

「中俣乗越」を過ぎると、黒部五郎岳の「肩」へと続く標高差200メートルの急な登りへ。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
雲が上がってきてる。早い…風が目に見える。あー、岩ゴロゴロだ

佐伯知彦さん:
ゴロゴロ岳、五郎岳!

まさに、黒部五郎岳の名前の由来は、岩が“ゴロゴロ”しているから。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
途中ちょっときつかったけど、登るにつれ気持ちよくなってきました

黒部五郎岳・東側の斜面は、典型的なカール地形。
カールとは、1万年以上前の氷河期、山頂付近で発達した氷河に削り取られてできた、おわん状のくぼみのこと。

そのカールの中を登山道が横切っているのは珍しく、氷河期を旅するような感覚が味わえる。

撮影しながらの山歩きは、時間がいくらあっても足りない…
夕方になってようやく、この日の宿・黒部五郎小舎が見えてきた。

佐伯知彦さん:
到着です!

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
着きました~。(出発から)9時間半ですか…、お疲れ様でした~

双六台地から見た“日本一の槍ヶ岳”

3日目。この日は富山・長野・岐阜の3県の分岐点、三俣蓮華岳を経由して、双六小屋へ向かった。
双六小屋のオーナーは小池岳彦さんで、3代目。先代は、山岳写真家でもある小池潜さん。
小屋には、父・潜さんが撮影した槍ヶ岳の写真が飾られていた。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
いろんな槍の表情が(写っている)

小池岳彦さん:
双六小屋は、写真家が集まる小屋。小屋にいるからこそ見られる景色もある。ここから見る槍・穂高は日本一だと思います

小池さんいわく、双六岳山頂付近の「双六台地」からは、“日本一の槍ヶ岳”が見られるんだとか。
予定よりも1日長く小屋に泊まり、翌朝出かけた。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
わあ~! 空に続く道っていうような感じ

双六岳の山頂付近に広がる平らな台地。
もともとなだらかな地形だったため、氷河期にも地面が大きく削られることはなかった。
さらに、地面が凍ったり解けたりを繰り返して、ゴロゴロとした岩は砕かれ、このような形になったという。

そして、日本一の眺めといわれる双六岳から見る槍ヶ岳。
ちょうど天気が悪く、粘って何とか撮影できたのがこちら。

生涯を信仰登山に 槍ヶ岳を開山した播隆上人

鋭く尖った姿から、“日本のマッターホルン”とも呼ばれる槍ヶ岳。この山を開いたのは、富山生まれの修行僧だった。
播隆上人。江戸時代後期に生きた浄土宗の僧侶。
故郷は、越中国新川郡河内村。現在の富山市大山地区となる。

信仰心の厚かった播隆は、10代後半で富山を離れ仏門へ。
諸国で厳しい山岳修行を重ね、生涯を信仰登山にささげた。

その功績の1つが、槍ヶ岳の開山。大飢饉に見舞われた江戸末期。民衆の祈りの場、救いの場として、1人でも多く登れるように、播隆は槍ヶ岳山頂へ仏像を安置し、岸壁にわら縄を取り付けた。

苦しむ民衆の心に寄り添い、ともに生きた播隆。今でも各地でその功績がたたえられている。
富山市の大山歴史民俗資料館には、手紙や形見の法衣など、生家に伝わる貴重な資料が集められている。

(富山市大山歴史民俗資料館・蔵)
(富山市大山歴史民俗資料館・蔵)

播隆は修行に出て以来、富山に戻ることはなかった。一度家を出たら二度と故郷の土を踏まないというのが、播隆の修行の在り方だったとも考えられている。

前人未踏の槍の穂先へ、長野側から5回にわたり登山を繰り返した播隆。
なぜ、そこまで槍ヶ岳にこだわったのか。

槍を目指す3年前、岐阜県の笠ヶ岳山頂で播隆は、後光を背負った仏様―ご来迎と遭遇する。
太陽を背に雲の中に現れた光の輪。今でいう「ブロッケン現象」だった。

※「ブロッケン現象」…見る人の影の周りに虹と似た光の輪が現れる大気光学現象。太陽などの光が背後から差し込み、影の側にある雲や霧の細かい粒によって光が散乱されることで見られる。

この時、ご来迎と同じ東の方向に、異様なほど天に突き出た槍ヶ岳を目にする。
これこそ自分が開山すべき未踏峰だと、播隆は心に決めたのだった。
その後、槍ヶ岳山頂でもご来迎を拝したといわれている。
山で仏と対面した感動が、播隆を突き動かしていった。

急峻な西鎌尾根を経由し槍ヶ岳山荘へ

5日目の朝は、小屋を午前5時に出発。西鎌尾根を経由し、槍ヶ岳山頂直下の槍ヶ岳山荘を目指す。

急峻な西鎌尾根は、「アレート」と呼ばれる氷河地形。
左右の斜面が氷河に削られて、急傾斜となっている。
時折、撮影のため立ち止まりながら進んだため、到着したのは夕方近くだった。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
ここが槍ヶ岳山荘ですね! 取りあえずここまでたどり着きました

大正15年創業の槍ヶ岳山荘。初代と2代目の主人は、播隆の研究者でもあった。
今は、4代目の穂苅大輔さんが小屋を任されている。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
槍ヶ岳山荘にとって、播隆上人はどんな存在なんですか?

穂苅大輔さん:
ご先祖さま、ではないですけれども。それに近い感覚はあります。播隆上人がいなければ、われわれもここにはいない。勝手に恩を感じているというか…

穂苅さんは、槍ヶ岳の山頂でブロッケン現象を見たことがあるという。

穂苅大輔さん:
年に一度、「播隆祭」というのを槍ヶ岳山荘では行っているんですが、3年前の祭の日にもブロッケン現象が見られた。播隆祭の日に晴れることを「播隆晴れ」と呼んでいます

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
播隆さんの力で見せてくれたのかもしれないですね…

“日本最古のアルピニスト”に思いをはせながら縦走してきた5日間。
ようやく槍ヶ岳の山頂直下にたどり着いた私たちを、播隆上人が静かに見守ってくれているような気がした。

槍の穂先で遭遇した「ブロッケン現象」

最終日。いよいよ槍の穂先へ向かう。
小屋から山頂までは30分ほどの距離だが、鎖や鉄のハシゴが打ち込まれた岩場が続き、ほぼ垂直に近い登りもある。

佐伯知彦さん:
下を見ずに、ゆっくり行きましょう

ハシゴを登り切れば頂上。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
お疲れ様でした! ここが槍ヶ岳の山頂! ずっと歩いてきたんだ。富山から…。登らせてくださってありがとうございますっていう、それしかありませんね…

山頂からの雄大な景色に見とれていたその時…

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
来るかも! …うわ、すごい!

風にのって谷から運ばれてきた雲に光が差し、円い虹が現れた。
ブロッケン現象だ。

播隆上人が見せてくれたのかもしれない…、そう思わずにはいられなかった。

富山テレビ・矢野美沙アナウンサー:
ありがとうございます…

山岳史に残る偉業を成し遂げた富山生まれの修行僧、播隆上人。
今もその魂は、槍ヶ岳の山頂から故郷へと続く山々を見つめているのかもしれない。

雲上の北アルプス。
ここでしか見られない絶景が広がっている。

【取材後記】
槍ヶ岳に向かって縦走したのは、2019年7月。まだ梅雨が明けていなかったため、ロケは毎日天気との闘いでした。
それだけに、唯一晴れた最終日、槍ヶ岳山頂で遭遇した「ブロッケン現象」は、まさに奇跡!
取材クルー全員、思いもよらない展開に感激しました。太陽の角度や霧の状態など、全てのタイミングが合わなければ見られないブロッケン現象。こんなドラマみたいなことが起きるなんて。もしかしたら、富山から来た私たちのために播隆上人が見せてくれたのでは…。手を合わせて、空に向かって感謝せずにはいられませんでした。

そして縦走では、個性豊かな山小屋も楽しみの1つ。“マスター”をはじめとするスタッフの皆さんが、登山者をあたたかく迎え、そして黒部川源流域の山々へ送り出してくれる太郎平小屋。
その優しさに、どれだけ力をいただいたことか。
双六小屋のオーナー・小池さんは、「『日本百名山』に登録されていないがために、素通りされてしまうのが悔しい」と、双六岳や小屋の魅力発信に情熱をもって取り組んでいました。

代替わりをしたばかりの槍ヶ岳山荘の4代目・穂苅さんは、私と同世代。登山の魅力を幅広い世代に伝えていきたいと語る姿が印象に残っています。

2020年は新型コロナウイルスの影響で、山小屋の経営は厳しい状況に置かれています。だからこそ、今こそ、これまでたくさんの学びと気づきを与えてくれた山に恩返しがしたくて、2019年の取材をもとにリライトしたのが今回の記事です。
山を歩く楽しさや豊かさを1人でも多くの人に知っていただきたい…
富山テレビの取材・放送が、少しでもそのきっかけになればと願っています。

(矢野美沙 富山テレビ・アナウンサー)

矢野美沙
矢野美沙

富山テレビ アナウンサー