「麻生―古賀」の因縁に翻弄された岸田氏

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安倍晋三首相の突然の辞任表明を受けた自民党総裁選挙。その行方を大きく左右したと思われるのが次の言葉だ。

「古賀とメシを食ったその足で俺のところに来るなんて、どういうことなんだ」

これは7年8カ月もの間、安倍首相の盟友として政権を支え続けてきた麻生太郎副総理が、当初ポスト安倍の最有力と言われてきた岸田文雄政調会長への怒りを周囲にぶちまけた言葉である。

発端は、首相が退陣表明した8月28日夜、岸田氏を含む岸田派幹部が都内に集まり今後の対応を協議した会合。この会に派閥名誉会長である古賀誠元幹事長が出席していたことを、これまで岸田氏にポスト安倍の一定の期待をかけてきた麻生氏が問題視したのだ。

「話に来る順番が違うだろう」

麻生氏と古賀氏は、共に福岡を地盤にしているが、長年に渡る地元での勢力争いや、安倍政権へのスタンスを含む政治的路線などを巡って「水と油の関係」(自民党関係者)だった。もちろん岸田氏もこの政治的確執を熟知していて、ポスト安倍に向けて、いかにして麻生氏・古賀氏双方の協力を得るという必要条件をクリアし、安倍首相からの支持を受けて勝利の方程式を完成させるかを模索してきていた。

しかし、ポスト安倍レースは安倍首相の電撃辞任により風雲急を告げた。

安倍首相が退陣表明をした2日後の30日夕方、岸田氏は麻生氏の個人事務所を訪れていた。岸田氏は麻生氏に対し総裁選に出馬する意向を伝えるとともに、麻生派の支援を要請し、深く頭を下げた。

ところが、この日の岸田氏に対する麻生氏の対応は、自らも期待をかけ、安倍首相が後継と目していたはずの人物への対応とは思えないほどそっけないものだった。麻生氏の返答は、「首相が支援するのであれば」という“条件付きの支援”だった。麻生氏が岸田氏の“仁義の切り方”に強い不快感を抱いたことが、この対応につながったことは想像に難くない。

菅支持に雪崩を打つ各派閥…岸田氏の支援要請に安倍首相の答え

岸田氏は麻生氏と会談した翌日の8月31日、首相官邸で安倍首相と向き合った。岸田氏は安倍首相に総裁選での支援を正式に要請したが、安倍首相は岸田氏が“総裁候補のひとり”であることを認めつつも、「私自身が個別の名前を挙げるのは控えている」と述べるにとどめた。岸田氏の安倍首相からの“禅譲シナリオ”が明確に崩れた瞬間だった。

8月31日
8月31日

その“禅譲シナリオ”を岸田氏から奪う形になったのが、いち早く動いた菅義偉官房長官と二階俊博幹事長だった。安倍首相が辞任表明した翌日の29日、菅氏は衆院赤坂議員宿舎で二階氏と二階氏側近の林幹雄幹事長代理、森山裕国対委員長と面会し、前向きに出馬を検討する意向を伝えた。二階氏ら出席メンバーはかねてから、次の総裁選に菅が出馬すべきだと言い続けていたが、この日の菅の反応から、「出馬は固い」と確信し、二階派として他派閥に先駆けて菅支持を固めた。

そして30日に菅氏が出馬の意向を固めたことが明らかになると、菅氏が本命との見方が一気に広がる。さらに安倍首相と岸田氏の会談により、首相が岸田氏を推さない姿勢が明らかになると、麻生派は同日、二階派に続いて菅氏支持を決め、その夜には安倍首相の出身派閥である細田派も菅氏支持を事実上決めた。

これにより岸田氏の、党内最大派閥の細田派と第二派閥の麻生派の支持を取り付け、選挙戦を優位に進めるという目論見は完全に崩壊したのだった。

安倍首相と麻生氏が抱いた岸田氏への“不満”

その予兆は以前より密かにあった。安倍首相や麻生氏は今年春ごろまでは岸田をポスト安倍の最有力とみていたが、新型コロナウイルスへの対応に追われるなかで、その資質について徐々に疑問符を付け始めていた。

3月24日
3月24日

麻生氏の周辺によると、岸田氏が自民党の政調会長として与党内の調整にあたった、新型コロナウイルス拡大に伴う経済対策としての国民への現金給付をめぐる経緯にも麻生氏は強い不満を持っていた。政府与党が当初、収入が減った世帯を対象に一世帯あたり30万円の給付を決定したものの、その後、二階幹事長や公明党が国民全員への1人10万円給付に舵を切ったため、政府が閣議決定をやり直す事態になった件だ。

財務大臣の麻生氏は、安倍首相の説得を受け、最終的に政策の変更を受け入れたが、この時、「大事な場面で党を抑えきれない奴だ」と岸田氏の対応に不満を漏らしていた。

そして6月、安倍首相は通常国会の会期末会見で後継について聞かれ、次のように答えている。

「言わば後継者を育てるどうこうという話がございましたが、後継者というのは、育てるものではなくて、育ってくるものであります」

内閣広報室HPより
内閣広報室HPより

また安倍首相は『月刊Hanada』に掲載されたインタビューで、「(後継は)同僚議員の支持を得なくてはならない。その際、引きつけるのはやはり情熱なのだろう」と語り、次期総裁に必要なキーワードとして「情熱」を挙げた。さらに菅氏についてポスト安倍の「有力候補の一人であることは間違いない」と述べた。

一連の安倍首相の発言からは、岸田氏を念頭に置き激励する意図が感じられる一方、岸田氏が思い通りに育っていないことや情熱が不足していることを嘆き、後継として本当に相応しいのか逡巡しているのではないかとの見方が広がった。同時に、岸田氏より菅氏の方が後継に適任だと感じているのではないかとの憶測も呼んだ。

「平時の人」岸田氏を追い込んだ「2つの緊急」

実際、2012年の第二次安倍政権発足から7年8カ月の間、安倍首相を近くで支えてきた官邸メンバーの一人も、「このコロナ禍の難局で次を任せられるのは、岸田さんではなく菅さんなのではないか」と周囲に語り始め、次のように漏らした。

「岸田さんは平時の人なんだよね」

岸田氏は、緊急時でなければ首相に相応しいが、緊急の場合の登板には向いていないとの認識を示唆した言葉だ。その通り、コロナ禍という未曽有の事態と安倍首相の緊急辞任という「2つの緊急」重なりが、菅氏を浮上させ、岸田氏を窮地に追い込んだ。

新型コロナウイルス政府対策本部・4月
新型コロナウイルス政府対策本部・4月

そして、とどめとなったのが、古賀・麻生という二人の派閥重鎮の因縁だったのかもしれない。岸田氏にしてみれば、自派閥の名誉会長と会うことは何ら問題がない行動だろう。しかし麻生氏からすると、対立する古賀氏が推す岸田氏であっても「安倍首相が推すのであれば」一肌脱ごうと見守ってきた自負があっただけに、自らより早い面会はその逆鱗に触れるに十分だったのだろう。

岸田氏にとっては、安倍首相の突然の辞意表明により、麻生氏と古賀氏という、相反する両者の利害を一致させるだけの時間的な余裕もなく、「古賀を切ってから俺のところに来い」という、麻生氏が以前より突き付けてきた踏み絵を踏むこともできず、支持を失う結果となった。

森元首相が明かした岸田氏の失敗と、「次」への希望

この一連の経緯について、古賀氏と昵懇の関係で、麻生氏のこともよく知る森喜朗元首相は、7日夜の自民党議員のパーティーで、来賓席に座る岸田氏を前に、「麻生さんは本当は岸田さんをやりたかったんだと思うがだめになった。なぜか。古賀さんと麻生さんがあまり仲良くないという話。岸田さんは何でだろうと思うかもしれないが、僕は当然だと思う」と述べ、古賀麻生両氏の確執の深さを考えれば当然の結末だとの認識を示した。そして次のように述べた。

「二階さんと菅さんはどんどん進んでいた。それを岸田さんは全然わかっていなかった。それをもういっぺんひっくり返すというのは麻生さんを味方にするしかなかったと思います。安倍さんも本当の気持ちは岸田さんですよ。しかし周りがだんだんそういう空気になって結局菅さんに乗らざるを得なくなった」

このように森氏に「全然わかっていなかった」と面前で一刀両断された岸田氏だが、森氏は、岸田氏に対し「この大事な総裁選挙、なんか勝敗が決まったようなことを言っているが、やってみなきゃわかりません。しかしどんなことになっても岸田さんはこれから次の次の大事な大事な日本の政治の中心になる人だ」とエールも送っている。

Mr.サンデーに出演する岸田氏
Mr.サンデーに出演する岸田氏

出馬後の岸田氏については陣営内からも「吹っ切れた」と評価する声も聞かれる。テレビなどで訴える姿についても、発信力の弱さが指摘されてきた割には、評価する声も少なくない。岸田氏にとっては、次の次につなげるため、議員票・地方票ともにいかに多くの票を積み上げられるかという重要な戦いが続く。

(フジテレビ政治部 自民党総裁選取材チーム)

政治部
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総理大臣、官房長官の動向をフォローする官邸クラブ。平河クラブは自民党、公明党を、野党クラブは、立憲民主党、国民民主党、日本維新の会など野党勢を取材。内閣府担当は、少子化問題から、宇宙、化学問題まで、多岐に渡る分野を、細かくフォローする。外務省クラブは、日々刻々と変化する、外交問題を取材、人事院も取材対象となっている。政界から財界、官界まで、政治部の取材分野は広いと言えます。