能登半島地震の発生から5月1日で4カ月。しかし、4カ月たっても、地震による被害の程度が未だ明らかになっていない場所がある。それが、輪島市の約50キロメートル北の日本海に浮かぶ離島・舳倉島だ。実は地震が発生した1月1日、この舳倉島に、3人の島民が暮らしていた。その内の1人に話しを聞いた。

能登半島沖の離島で被災した男性が当時を激白

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坂口剛さん。元日に島に残っていた一人だ。

舳倉島の島民は、ほとんどが年末の漁を終えた後、輪島へ戻り正月を祝う。今年残っていたのは、坂口さん含め3人。坂口さんは、電気設備の保安業務のため、妻と共に島に残っていた。

地震発生前の舳倉島
地震発生前の舳倉島

あの日、初詣を終えて島の自宅に戻った時、島を震度5弱の揺れが襲った。その当時を、坂口さんは次のように振り返る。

坂口さん:
大した揺れじゃないけど、揺れが長かった。テレビちょうど付けてたら「大津波警報です」って言うもんで、ほんなら高台に逃げようと逃げたんだけど…

これは逃げる直前、坂口さんの妻が撮影した写真。

すでに海岸沿いが津波に飲まれている。

津波から逃げた先には…極寒の避難所

坂口さん夫妻が向かったのは、島の避難所になっている市立輪島病院の舳倉島診療所。

当時について坂口さんは「何もなくて寒かった。」と話す。実は避難所となっていたこの診療所、暖房器具は全て電気を使うものしかなかったのだ。島全体が停電したため、避難所は極寒。診療所にある車のエンジンをかけて暖をとっていたという。

坂口さんは津波が引いたあと、自宅に戻りストーブなどを避難所まで運んだ。家の中は冷蔵庫や棚など様々なものが津波でひっくり返されていた。

奇跡的に動いた衛星電話で連絡…それでも救出は2週間後

稲垣真一アナウンサー:
島の外とどうやって連絡を取ったのですか?
坂口さん:
北陸電力に月に一回、衛星電話を掛ける事があったので、1月2日だったかに、そういえば発電所に衛星電話があるから、もしかしたら連絡が取れるかもと思って…

そこで坂口さん。北陸電力の舳倉島発電所に行ってみると、奇跡的に津波の被害がなかった。衛星電話も水につかることなく無事だった。それで北陸電力や、輪島市などと連絡が取れたという。

しかし、島に残っていた3人が救出されたのは、地震から2週間たった1月14日。自衛隊のヘリで自宅に戻ることができたという。

過酷な避難生活を経て避難所の改善訴える

坂口さんは、避難所を改善して欲しいと訴える。

坂口さん:
暖房器具は電気がないと使えないものしかないし、小さな発電機はあったけど、燃料は1日持たないし、そもそもその発電機は今回、動かなかった。

過酷な避難生活を経験した坂口さん。避難所に衛星電話などが無かった事から今後の整備も訴える。

坂口さん:
避難所に衛星電話をつけてほしい。その電話も、役所にネットワーク組んで、役所に電話かけたらどこの地区から電話来たっていうのが分かってくれれば対応が早くなるしね。

「輪島市の職員は島を見に来たのか」島民の悲痛な訴え

撮影を終え、港に向かう途中、ある女性に出会った。

島の民宿「つき」の女将で、海女でもある木村世紀子さん。津波でいくつかの建物が流され、大広間も波に浸かったそうだ。木村さんは、「輪島市の職員はまだだれも舳倉島を見に来ていない。ちょっと寂しい」と話す。

木村さん:
輪島市が今、大変なので、うちらも輪島の方にも家もあるので、まぁ、無理は言えなかったんですけど、やっぱりある程度落ち着いてきたら、もう4カ月ぐらい経つので、島の状況も一回、見に来て欲しい。

(石川テレビ)

石川テレビ
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