増加傾向にある新型コロナウイルス感染者のニュースを毎日注視しながら、妊娠中の私はとにかく感染しないように必死だった。しかし無症状の感染者が多いことを考えると、気づいていないだけで、自分も感染しているかもしれないと不安に…。もし分娩時に感染していた場合、どんな出産になるのか。陽性患者も、陽性患者と向き合った医療従事者も非常に精神的負荷がかかっている状況の中、慶應義塾大学病院産科の田中守教授が話してくださった。

慶應義塾大学病院の産婦人科医 田中守教授
慶應義塾大学病院の産婦人科医 田中守教授
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慶應病院では、3月24日に他院から転院した患者にPCR検査をしたところ、無症状の陽性者であると判明し、院内感染が確認された。また初期研修医の集団感染もあり、4月6日から、出産のため入院する妊婦も含めて、新しく入院する患者全員にPCR検査をすることになった。

妊婦には、陰性なら普通に出産となるが、陽性なら感染防御の観点から帝王切開することを説明し、納得してもらった上で検査を実施した。

田中教授は、当時を「院内感染の症例から初期研修医の感染が立て続けに発生し、気づいた時には、強烈な感染力」だったと振り返る。「妊婦は普段から気をつけているから大丈夫だろうと思っていたが、4月に2人の無症状の陽性妊婦が出てしまい、本人もびっくりしただろうが、医師らも晴天の霹靂」だったそうだ。

陰圧の分娩室なんて日本にない!今一番正確な検査がPCR検査

田中教授は早い段階から海外の医師らにコロナ対策の話を聞いていて、中には陽性妊婦はお産の際にいきんだり声が出たりして空気感染の恐れがあるため、陰圧(室内の空気が外に出ていかない特別な換気システム)分娩室での出産が推奨されている地域もあったそうだ。ただ、そういう地域は過去にSARSなどが流行したため、それに対しての備えで陰圧分娩室があることが多く、残念ながら陰圧の分娩室がある病院は日本ではほぼないとのこと。

分娩室イメージ
分娩室イメージ

ちなみに慶應病院でも陰圧の手術室はあっても、分娩室は陽圧換気。例えば、陽性妊婦が通常の分娩室で経膣分娩した場合、空気は循環しているのでウイルスが病棟中に広まる可能性があり、対応したスタッフだけでなく、他の入院患者や新生児も感染してしまう恐れがあるという。

現状では、「陽性妊婦が分娩中に叫んだ場合、どれだけ感染させるか」と言ったデータはなく、経腟分娩による母子感染のリスクがどれだけあるかは分かっていないが、不確定要素をできるだけ排除し、コロナフリーの状態で安心して出産してもらうためには、陽性妊婦の出産は無菌的に新生児を取り出せる帝王切開にせざるを得ないと、慶應病院では判断した。

また、集団感染が起きたダイヤモンドプリンセス号の船内で、トイレ周辺からよくウイルスが検出されたことにも触れ、経膣分娩だと陽性妊婦の外陰部などにもウイルスがいる可能性があると指摘する。

PCR検査は実際は感染していないのに陽性反応が出る偽陽性の可能性も指摘されているが、田中教授は「どんな検査でも偽陽性も偽陰性もあり、ゼロにはできない。ご指摘も承知しているが、今一番正確と言われている検査がこれしかなく、他にいい方法がない」と話す。医師たちも苦渋の選択のようだ。

陽性反応が出た妊婦の出産

陽性反応が出た妊婦には、経膣分娩だと新生児への感染や院内感染のリスクが高まるため帝王切開にする旨を改めて説明、家族には電話で伝えたそうだ。事前に決められていた手順通りに、N95マスクやフェイスシールド、防護服をつけて陰圧の手術室で帝王切開をしたが、感染リスクを減らすため手術室の中には限られたスタッフしか入らないようにしていたので、新生児はすぐに外で待機している小児科医のもとへベビーコットに入れて移動するという流れで、1時間程で終了したそうだ。しかし手順があったとはいえ、全てが手探りで、その場で相談しながら決めていったことも多かったという。

陽性妊婦は、我が子の産声を聞き、顔をチラッと見ることはできるが、触れることはできず、そのままコロナ専用病棟に運ばれた。

赤ちゃんは、ママに抱っこされることはなくそのままNICUへ移動する
赤ちゃんは、ママに抱っこされることはなくそのままNICUへ移動する

新生児もコロナ陽性の疑いがあるためすぐさまPCR検査をし、その後も退院までの2週間強の間に数回検査をしたが、幸いなことに、これまでに陽性反応が一度でも出た新生児はいないとのことだった。

入院患者全員に精神科医を1人ずつ

ちなみに、慶應病院ではコロナ感染の入院患者全員に精神科医が1人ずつ付く。ただ、いきなり精神科医が患者のもとに行くと、拒絶されることも予想されたため、産科医や呼吸器内科医など担当の医師が、「精神科医がバックについているからどうしようもない気持ちを伝えたくなったら話を聞いてもらいましょう」と声をかけたそうだ。そういう声かけをするだけでも、患者は安心していたようだったという。

これは担当医師たちにとってもプラスに働いた。患者の中には、コロナに感染してしまった心の葛藤やどこにもぶつけられない気持ちを吐露する人もいて、それを全て担当の医師が受けてしまうと、メンタルを保つのが難しいこともあったそうだ。

コロナ禍という異常事態に感染のリスクを背負って患者と対面し治療している担当医師は、心のケアについてはプロではない。精神科医が入ったことで心の負担の軽減にもなり、さらに患者のケアについて、例えば眠れないと訴えた患者にどういう薬を処方するのがいいかなど相談もできたため、非常に助かったという。

田中守医師(左)とオンライン取材をする山中アナ(右)
田中守医師(左)とオンライン取材をする山中アナ(右)

「ブルーインパルスは泣きそうに…」

田中教授によると、帝王切開をした医師は、当時、いきなりのことで自分が感染するかもしれないという恐怖心を感じる余裕もなかったそうだ。しかし、感染防御を充分に行った状態での帝王切開術は通常の手術とは異なるため、医師のストレスは相当なものだったのではないか。

慶應病院では、最盛期には20人に1人が陽性という割合だったため、院内のPCのキーボードや椅子などを定期的に消毒したり、それまでは外来患者が運んでいたファイルを医師やスタッフが運ぶことにしたり、妊婦健診でも通常行っていた腹囲や子宮底長の測定を中止した。またオンライン健診も始め、徹底的に人と人との接触を減らすように体制を変えていった。

田中教授は「この病気は自分がかかったら死ぬかもしれないし、他人に感染させると命を奪うかもしれない。出産場所の選択肢の一つとして、これくらい神経質に新型コロナウイルス対策をしている病院があっても良いと思う」と話す。

医師たちの中には、もし自分が感染したら家族にまでうつしてしまうかもしれないと不安を口にする人もいたし、医療従事者というだけで「コロナ扱い」されたケースも多々あったそうで、「自衛隊のブルーインパルスは泣きそうになった」という。

新型コロナウイルス
新型コロナウイルス

私たちにできることは

妊婦が陽性だと分かった時点で、同居の家族はみんな濃厚接触者になる。陽性の妊婦と生まれてくる子供のことも心配な上、自分が感染しているのかどうか分からない中で2週間自宅待機というのも、不安で仕方がないだろう。

手洗いにうがい、手指消毒、人が多いところに行かないなど妊婦本人も気をつけなければいけないが、夫や同居の家族の協力も当然欠かせない。妊婦一人が気をつけても、他の同居家族が家にウイルスを持ち込む可能性も十分ある。また同居の家族が陽性になった場合、今度は妊婦が濃厚接触者になる。妊娠経過が順調でも、産む直前に自分や家族が感染したら、今まで頑張った感染対策が無駄になってしまうのだ。

田中教授も「この件は日本中の周産期医療施設で問題になっている。陽性患者の対応でさえ標準的なものがない中、分娩時の濃厚接触者の妊婦の対応は困難を極める」と話す。

慶應病院では、職員の会食は同居家族のみ許されていて、原則1人で食事するよう指示されているそうだ。家庭内感染が増えてきている中、後悔しないためにも、妊婦の家族も、同居の家族以外との会食を控えるなど、決して油断せず、意識してコロナ対策をしてもらいたいと思う。

全国的に感染者がまた増えてきて、状況は刻一刻と変わってきている。田中教授は、3月、4月のクラスターを振り返って、「まさかを一度経験すると、その時は大丈夫そうに見えても1、2週間後どうなっているか分からない。やれることはやっておかないと」と話す。

元気な産声を聞くことが産科医たちの癒しにもなる
元気な産声を聞くことが産科医たちの癒しにもなる

陽性妊婦から新生児へ母子感染した症例や、非妊婦よりも妊婦の方が重症化する可能性があるという海外からの報告もある中、未知のウイルスとの戦いはまだまだ続く。産婦人科の医師たちは、今日も元気な産声を聞くために、今できる最善を尽くしている。

【執筆:フジテレビ アナウンサー 山中章子】

山中章子
山中章子

先入観を持たず、何事もまずやってみる、聞いてみる。そして、そこから考える。気力は体力で補う、体力は気力で補う。人間万事塞翁が馬。人生何が起きるかわからない。

フジテレビアナウンサー。2009年入社。現在「とくダネ!」、「めざましどようび」、「FNNプライムニュースデイズ」(週末)、「週刊フジテレビ批評」など担当。2015年からFNSチャリティキャンペーンに携わり、マダガスカル、トーゴ、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプを取材、系列局などで講演会も行う。