秋田市の歓楽街「川反」にある老舗のバーがオープン60周年を迎えた。2代目店主として長年にわたり川反の歴史を見つめてきた男性に、川反の街、そして店への思いを聞いた。

先代と共に見つめてきた“川反の街”

秋田市大町の通称「川反」の一角に店を構えるバー「レディ」は、1964年に秋田県内のバーテンダーの草分け的存在である中島康介さんが創業した。

「レディ」2代目店主の長澤欽一さん
「レディ」2代目店主の長澤欽一さん
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店の名前は「女性客もたくさん足を運んでくれるように」と願いを込め、創業と同じ年に公開された映画「マイ・フェア・レディ」から名付けられた。現在、店を切り盛りするのは2代目の長澤欽一さんだ。

レディ・長澤欽一さん:
3カ月くらいアルバイトとして店に入ったが、先代の「欽ちゃん向いてるんだけどな」という言葉がずっと忘れられなくて、1年ほかの会社で勤務したが、思い切ってこの世界に飛び込んだ。

先代の中島康介さん
先代の中島康介さん

80歳を過ぎるまで店に立ち続けた先代の中島さんから、社会人とバーテンダーとしてのいろはをたたき込まれた長澤さんは、先代と共に川反の街を約30年見つめてきた。

レディ・長澤欽一さん:
この30年は本当に激動の30年だったんじゃないかと、振り返ってみると改めて思う。川反が人であふれかえっている時期があったが、最初の転機は「食糧費問題」ですかね。

「レディ」を悩ませた2つの問題

1990年代に秋田県政を揺るがした「食糧費問題」。公費が県職員の飲食代などに不正使用されていたことが次々と発覚し、1997年には当時の佐々木喜久治知事が辞職した。この問題で公務員の飲食が激減した。

「食糧費問題」により公務員の飲食が激減
「食糧費問題」により公務員の飲食が激減

レディ・長澤欽一さん:
あの時は急激に人の数が減って、川反の中にも料亭がたくさんあったが、みんななくなってしまった。

それ以上にショックだったのが、新型コロナウイルスの流行だという。レディは、川反の他の飲食店と同様に店を開けても客が来ないという日が続き、売り上げが大きく落ち込んだ。

レディ・長澤欽一さん:
この先どうしたらいいんだろうとか、全く改善策や対応ができなかったので本当に困った。そういう中でも客が心配してくれて「残っていてよかった」と泣いてくれる客もいた。そういうのを見せられると「何があっても残さなきゃな」という思いで頑張ってきた。

「60年は通過点、ゴールはない」

何度も苦しい時期を乗り越え、レディは2024年2月6日に60回目の創業記念日を迎えた。記念すべき日に店を訪れたなじみの客には、長澤さんから記念のピンバッジが手渡された。長年足を運ぶ客たちは酒が進む。

60回目の創業記念ピンバッジ
60回目の創業記念ピンバッジ

常連客:
非常に落ち着ける空間なので、僕からすると秋田でバーといえばここだと思っている。

親子3代で通う客もいるというレディは、多くの人たちの思い出を気持ちを込めた一杯で彩ってきた。「客とのつながりがすべて」と何度も口にした長澤さんは、これからも客と共に、川反と共に歩み続ける。

レディ・長澤欽一さん:
60年は通過点ですね。ゴールはないです、この仕事は。命が続く限りではないが、できる限り営業を続けていきたいし、これからも客と共に川反を見守っていきたい。

(秋田テレビ)

秋田テレビ
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