韓国で現在使用されている硬貨には4つの種類があるが、そのうち100ウォン硬貨にだけ「肖像画」が描かれている。日本でもよく知られた、李舜臣(イ・スンシン)将軍像だ。韓国では、16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵で日本を撃退した英雄として称えられている。

各地に設置されている李舜臣(イ・スンシン)将軍像
各地に設置されている李舜臣(イ・スンシン)将軍像
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ソウルの目抜き通りや国会議事堂など各地に銅像が立てられており、国民にとって「救国の英雄」であり、「抗日」の先駆者と言える存在だ。だが近い将来、この英雄の姿が硬貨から消えることになるかもしれない。

「抗日の象徴を親日画家が描くのは話にならない」

李舜臣将軍が描かれた100ウォン硬貨
李舜臣将軍が描かれた100ウォン硬貨

硬貨に描かれた李将軍の姿だが、実は韓国政府が指定した公式の肖像画が用いられている。今回、この肖像画そのものにケチがついた。政府指定を解除し別の絵画に替えるべきだ、という動きが出ているのだ。

1973年、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)政権が「全国各地に溢れる将軍の肖像画を統一するように」との指示を出した。これを受け、政府の公認を受けた画家が描いた指定肖像画が李将軍の姿として現在まで続いてきた。その一人が韓国画壇の重鎮、張遇聖(チャン・ウソン)氏だ。この張氏が「実は親日派だった」とされたことから、肖像画自体が批判の対象となっている。

「親日派」と言えば一般には日本文化に好意的な人を意味するが、韓国では全く違う。日本統治下の朝鮮で日本当局に協力した関係者を指し、民族の敵として今も批判の対象となっている。文在寅大統領の掲げる「親日清算」とは、そうした日本帝国主義の痕跡を徹底的に排除する流れを指す。

日本統治時代、韓国では日本の文展や帝展にならった官設の公募美術展が開かれていた。韓国メディアによると、張氏はここに日本の帝国主義を称賛する作品を数多く出品したという。こうした経歴を理由に張氏は親日派のレッテルを貼られ、韓国の左派系市民団体が2009年に刊行した「親日人名辞典」にも名を連ねることとなった。

秀吉の侵略に一矢報いた将軍を描いた画家が「実は親日派だった」という構図は、韓国において“英雄の名折れ”となる。将軍の揺るぎないイメージ、つまり抗日の象徴の元祖ともいうべき偉人の名誉が汚されたというわけだ。

6月中旬、韓国文化財庁が所管する顕忠祠(李将軍をまつる施設)の管理所は、政府に対して将軍の肖像画を政府指定から外すよう申し入れた。民間ではなく、国の行政機関の傘下組織による要請だ。親日排除を進めてきた文政権の意向ではないかという疑念は拭えない。今後は実際に指定を解除するかどうか、政府が検討することになる。

キリがない「親日狩り」将軍の像は以前も対象に…

韓国・慶尚南道の教育庁は庁舎前の樹木を「日本統治時代に植えられた」として引き抜いた(2019年)
韓国・慶尚南道の教育庁は庁舎前の樹木を「日本統治時代に植えられた」として引き抜いた(2019年)

文在寅政権の発足以降、親日狩りの標的となった例は枚挙にいとまがない。特に3・1独立運動から100年を迎えた2019年は、教育現場での動きが顕著だった。南東部の慶尚南道では、地元教育庁が庁舎前に植えられた「カイヅカイブキ」という木を「日本統治時代に植えられた」ことを理由に根元から引き抜き、別の場所に植え替えた。親日派が作詞・作曲した校歌が見直しを迫られたケースもある。

そして、李将軍が親日狩りの対象になったのも今回が初めてではない。国会議事堂にある将軍の石像は2015年に立て替えられたが、主な理由は「将軍が手にしているのは日本刀だ」との指摘が相次いだためだった。さらに立て替え前の像を製作したのが、同じく韓国で親日派認定されている彫刻家であった点も議論の対象になったという。

立て替え前の李舜臣像(左)と立て替え後の像(右)
立て替え前の李舜臣像(左)と立て替え後の像(右)

韓国現代美術の発展に大きく貢献し、政府指定の肖像画や国会の石像の製作という大役を担った芸術家達が、後に親日派として糾弾されるのはまさに歴史の皮肉と言える。そして彼らを「日本帝国主義の残りかす」と断罪し残らず駆逐しようとするのが、現政権の対日姿勢だ。

硬貨改鋳は既定路線か、感情論で莫大な税金を投入?

話を冒頭に戻そう。将軍の政府指定画を巡る変更論だが、2019年に市民団体が「親日派の作品は替えるべき」として韓国大統領府に請願を出している。だが2020年6月時点で賛同者は約800人に留まっており、国民を巻き込んだ議論になっているとは言い難い。

とはいえ、指定画を変更するか判断するのは韓国政府で、地元メディアは「変更される可能性が高い」と伝えている。そうなれば実際に、硬貨の改鋳に発展するだろう。また、硬貨だけではなく1万ウォン札や5万ウォン札の紙幣に描かれた世宗大王など他の歴史的偉人の肖像画も、別の親日派画家が描いたとされる。影響は紙幣にも及ぶ可能性がある。

韓国人が「親日派」に抱く「恨みの意識」は根深い 文政権はこれを「積弊」と呼び排除しようとしてきた
韓国人が「親日派」に抱く「恨みの意識」は根深い 文政権はこれを「積弊」と呼び排除しようとしてきた

こうした動きは直接的に日本に影響を及ぼすものではないが、韓国人が「親日派」に抱く「恨みの意識」がいかに根深いものだったかを示している。それは日本の統治を受け入れざるを得なかったという事実と、自ら独立を勝ち取ったわけではないという無念さに起因するのかもしれない。

文在寅政権はそれを、積み重なった弊害=積弊と呼んで排除しようとしてきた。

韓国政治では長年、保守派と進歩派が対立し、「親日派」は保守派を攻撃する言葉としても作用してきた。また、政権が行き詰った場合、批判の矛先を日本に向けることも多く、時として日韓の構造的な問題として浮き彫りになっている。

ちなみに韓国は、カード決済の普及率が90%以上のキャッシュレス大国だ。韓国人が日常的に李舜臣将軍の描かれた100ウォン硬貨を使う姿を、私は見たことがない。

(執筆:FNNソウル支局 川崎健太)

川崎健太
川崎健太

FNNソウル支局