国葬とは損得勘定で考えるものなのか

●保守革新とか右翼左翼という分類は前世紀の遺物になった感があります。良いことだ。十把一からげにされることは愉快なことではないし、十把ひとからげにすることも正しい態度とは思えないからです。

それでもなお国政上の、或いは政治、社会における問題への人々の向き合い方を見ると、保守的だな、とか、左翼的だな、と感じてしまうのは、昭和40年代から50年代にかけて学校生活を送った者の性なのかもしれません。

今、安倍元首相の「国葬」をめぐって人々の賛否が二分されているように感じます。大雑把に言ってしまうと、保守・右派陣営は賛成、革新・左派陣営は反対といったところでしょうか。どちらの陣営にも精神的に属さない人たちは、「最も長く日本の指導者であった人なのだからいいんじゃないか」「多額の税金を遣ってすることか」「弔問外交というメリットがあるから税金を遣う価値はある」などなどかまびすしい限りです。いろいろな人がいろいろな観点からいろいろなことを発信する。民主的な風景だなあ、と思います。

安倍元首相の位牌を持つ昭恵夫人
安倍元首相の位牌を持つ昭恵夫人
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左右両陣営は、それらのどちらにも属さない人々の説得を試みています。最大の説得材料に見えるのが「損得勘定」。メリットデメリットを比較衡量のうえ、賛否を決することは一般的に合理的なことだと思います。あくまで「一般的に」です。

●国葬は「損得勘定」で考えるものですか。それはちょっと違うのではないか。

保守・右派陣営が国葬を執り行いたいのは「得」だからではないし、革新・左派陣営が国葬に反対するのは「損」だからではない。どんなに費用が掛かってもやらねばならないことがあるし、そんなに費用が掛からなくてもやってはならないことがある。両陣営はそこのところを人々に訴えるべきだと思います。

国葬とはどんな儀式のことなのか

●さて、ここからが本題です。(前置きが長くてすみません)

8月15日、日本武道館で全国戦没者追悼式が行われます。政府が主催するこの式典には天皇・皇后両陛下がご臨場され、三権の長である内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官が式辞を述べます。また、各政党代表、都道府県知事、都道府県議会議長が参列します。正午になると甲子園球場にサイレンが鳴り響き高校球児をはじめ、その場にいる皆が黙祷をささげる。「日本国が行う儀式」これが私の「国葬」のイメージです。

全国戦没者追悼式に臨場される両陛下
全国戦没者追悼式に臨場される両陛下

今回の「国葬」はどのような形で行われるのでしょうか。

「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である(憲法第1条)」天皇陛下のご臨場なしの国葬は考えられないし、今回の「国葬」への天皇陛下のご臨場には賛同できかねる、というのが私の主張であります

●吉田茂元首相の国葬には、天皇・皇后両陛下のお使いや皇太子殿下、妃殿下が参列したそうです。日本で一番偉いのはマッカーサー元帥と思われていた時代にマッカーサーと渡り合い、被占領国から独立を回復した立役者。時代を映す国葬だったのでしょう。

吉田茂像(北の丸公園)
吉田茂像(北の丸公園)

~余談ですが、吉田氏の国葬(昭和42年)の当時、私は小学4年生。学校が半ドンになったことを覚えています。その日、亡父が吉田氏を「売国奴」と評した印象が今でも鮮明です。(その真意ははかりかねますが)

さて、吉田氏以降、国葬は行われていません。その代わり行われてきたのが「国民葬」「内閣・自民党合同葬」「衆議院・内閣合同葬」。

国民、内閣、衆議院、自民党…いずれも天皇陛下と切り離されてきたことを忘れてはなりません。

憲法7条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事行為を行ふ。」と定めています。その国事行為の中には「儀式を行ふこと。」という項目があります。まさかそんな助言はしないでしょうね。

天皇抜きに国葬は成立しない。天皇を巻き込んだ国葬は「天皇の政治利用」の疑いが極めて濃厚である。

岸田内閣が責任を持って内閣葬、或いは自民党総裁として内閣・自民党合同葬にしなかったことが残念でなりません。

【執筆:フジテレビ 解説委員 岡野俊輔】

岡野俊輔
岡野俊輔

老驥伏櫪 志在千里
烈士暮年 壮心不已
フジテレビ報道局解説委員。1958年東京生まれ。
千葉県立東葛飾高校卒。早稲田大学法学部卒。
元フジテレビ政治部記者、デスク。
元ニュースジャパン編集長、ウィークエンド編集長、報道番組部長。
政治部編集員からシニアコメンテーター役。