同日の夜会合に見えた「自民党の勢力図」

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臨時国会が閉幕した週に二つの注目すべき会合が開かれた。

12月22日、FNNのカメラは、東京・浅草の雷門近くの老舗鴨料理店に入る、安倍元首相、麻生副総裁、茂木幹事長の姿を捉えていた。安倍と茂木は衆院選後にそれぞれ派閥会長に就任しており、自民党の三大派閥の会長が集結した形だ。

安倍長期政権下で特に関係を深めた3人だったが、麻生と茂木は、予算委員会で隣の席になるため、麻生が茂木に対し「あの議員はどんな奴なんだ?」「この問題はどうなっているんだ?」などと質問し、茂木がそれに答える役割を担っていた。今回の夜会合が行われた店は予約が取りづらいことで有名で、ホスト役の茂木がおそらく1年も前に予約したものだ。

安倍、麻生、茂木の3人が集まることには意味があった。最大派閥の安倍派、ともに第二派閥の麻生派と茂木派をあわせると、自民党所属議員の実に半数を超える。党執行部に名を連ねる麻生、茂木の二人と、最大派閥のトップである安倍は、いわば岸田政権と運命共同体といえる。政権維持には、来年の参院選での勝利が至上命題であり、年の瀬に改めて結束を確認することに意味があった。

浅草の会合の最中、別の夜会合が赤坂の料亭で行われていた。集まったのは、菅前首相、石破元幹事長、森山前国対委員長、林元経産相、武田前総務相だ。二階派会長の二階俊博元幹事長も当初は出席する予定だったが、地元日程が入ったため参加できなかったという。出席者によると、前の自民党総裁選で河野太郎広報本部長を応援したメンバーを中心とした“忘年会”とのことだが、今の岸田政権と距離を置くメンバーでもある。

また、菅氏については、党内に復権を期待する声があり、その足掛かりとすべく派閥結成を進める動きがある。その菅氏は、12月24 日にBSフジの生放送(プライムニュース)で、「仲間は必要」としつつも、「派閥というのは右となるとみんな右に舵を切らざるを得ない」と語り、特定の派閥ではなく、特定の政策、を軸とした勢力の結集を目指す考えを示した。ただ、その場合も、このメンバーが何らかの形で連携していく可能性がある。

菅氏は従来の派閥ではなく、特定の政策を軸とした勢力の結集を掲げていて、このメンバーが何らかの形で連携していく可能性がある。

二つの会合が12月22日という同じ日に開催されたことについて、「本当にたまたまだった」(赤坂の夜会合の出席者)ということだが、総裁選をきっかけに新たに誕生した「主流派=安倍・麻生・茂木ら」と「非主流派=菅、二階、石破ら」が別々に行った会合は、自民党内の最新の勢力分布図を分かりやすく示すことになった。そして、こうした勢力図を作り上げた張本人が、岸田文雄首相だ。

“決められない男”が“決める男”に豹変した瞬間

令和2年8月28日、持病の悪化を理由に安倍が電撃辞任。そして安倍の後を継いだ菅は令和3年9月3日、自民党の臨時役員会で「次の総裁選に出馬しない」と表明した。いわゆる「安倍・菅政権」の9年間、そして官邸一強政治が終焉した。

菅が不出馬に至った最大の要因は、過去の総裁選出馬を巡る立ち振る舞いや、政調会長時代の10万円の現金給付への対応を巡って、党内で“決められない男”との不名誉なレッテルを貼られた岸田文雄(現首相)の奇襲だった。

「国民政党だったはずの自民党に声が届いていないと国民が感じている」(8月26日)

8月26日の出馬会見で、岸田は党総裁以外の役員任期を「1期1年・連続3期まで」とする改革案をぶち上げ、現職の二階幹事長(当時)にも喧嘩を売った。二階は「急に岸田が言ったから、どうかしないといけないということはない」と不快感を隠さなかったが、菅は事実上の“二階切り”に動かざるを得なくなった。しかし、結果で見れば、菅は総裁選前の人事も行うことが出来なくなり、出馬そのものも断念に追い込まれた。

岸田と菅はもともとケミストリーが合わないこともあり、岸田は菅政権では進んで無役になり、身軽になった体で地方を回るなどして“永田町の外”の声を聞き続けた。その結果、菅が主導するコロナ対策全般が国民の共感や信頼を得ていないこと、また、二階が象徴する自民党の「古めかしい体質」が、令和の時代になじんでいないと確信していた。岸田が迷うことなく総裁選への出馬を決めた背景には、「このままでは自民党が沈没する」という強い危機感があった。

9月3日午前に「不穏な着信」

「菅は本当に総裁選に出られるのか?」「菅はいま何をしているんだ?」

9月3日の午前11時半に予定されていた自民党の臨時役員会。菅は当初この場で、週明けに行う役員人事の一任を取り付けるはずだった。だが、この場で菅は事務方が用意したペーパーを読むことなく、「コロナ対策に専念したい。総裁選に自身が出馬すべきではない」と表明した。表明直前に知らされていた二階以外の全員が驚いた表情を見せ、言葉を失った。記者の携帯に与党幹部から着信があったのは、役員会当日の午前11時頃。「本当に大丈夫か?」「何か起きているんじゃないか?」

そして、11時40分を過ぎたころ、各社が「菅首相が総裁選に不出馬」とのニュース速報を流すことになる。

自民党総裁選「陰のキーパーソン」はあの重鎮

現職の菅首相が不出馬を表明した総裁選には、河野・岸田・高市・野田の4氏が立候補した。3年ぶりに党員投票が行われるフルスペックの形での選挙になったが、候補者が乱立したこともあり、一回目の投票で決着せず、決選投票にもつれ込む公算だった。各派閥が戦略を練りそれぞれの対応を決定する中で、最後まで態度が不明確だった派閥がある。二階派だ。

「この疲弊した官僚機構を立て直せるのは岸田君しかいないよ」

二階派に所属する永田町の重鎮“イブキング”こと、伊吹文明・元衆院議長は当初から、「このメンツでは岸田君しかいない」と考えていた。ただ、二階派としては「菅が出れば菅を推す」予定だったため、“主役不在”の総裁選に対して態度を決めかねていたことに加え、二階本人も派閥議員に明確な指示を出さなかった。一方、派閥内では、菅との関係が良好な武田良太らが、河野太郎を推す流れを作ろうと画策するが、この動きに伊吹文明が“待った”をかける。

「二階派としても、できれば岸田君を推す流れを作りたい」

安倍、伊吹、二階の3者会談 多数派工作も

伊吹は岸田本人にも早々に自身の意向を伝えつつ、安倍も巻き込んで、総裁選期間中に二階と3人で二度に渡り面会する機会を設けた。保守層の掘り起こしを狙う安倍は、高市を公然と支援したが、決選投票で河野が浮上する展開を阻止するため、決選投票では岸田に寄せていく方針だった。伊吹は、安倍を巻き込んで、「河野を推すのではないか」という観測があった二階に直接真意を質すとともに、仮に河野支持であれば岸田支持に転じるよう“説得”を試みた。また二階派内でも、河野を支持したいと考えている議員に、岸田支持に回るよう説得してまわった。こうした会談を経ても、二階は最後まで派内に明確な指示を出すことはなかったが、伊吹の多数派工作により、河野で行くはずだった議員票が岸田に流れることとなった。ある議員は「河野が一回目で議員票が3位になるのは想定外だった」と語ったが、派閥領袖の一人は「計算上、河野が3位に沈むことは最初から分かっていた」と振り返る。

伊吹としては、派閥として河野を推した結果、二階派が非主流派に転じることを何としても避けたかった。そして伊吹は、岸田が直接、二階に頭を下げる場面を作ることも忘れなかった。

果たされた3人の約束

「石原、岸田、茂木の3人のうち将来誰が総裁選に出てもその際はしっかり協力し合おう」

自民党が下野していた2012年の総裁選で、当時幹事長だった石原伸晃が出馬した際、陣営の選対責任者を務めたのが同じく当時政調会長だった茂木であり、当時国対委員長だった岸田も石原の推薦人に名を連ねた。3人が密かに集まった場で、先述のやり取り、いわば「約束」のようなものが交わされ、今回の総裁選で、その約束は果たされた。甘利明が衆院選で選挙区敗北の責任を取って幹事長を辞任、茂木はその後、自民党幹事長に就任した。茂木は総裁選の決選投票で、竹下派の票をほぼ岸田支持でまとめあげ勝利に貢献した。衆院選で落選した石原は内閣官房参与に起用され、岸田の恩情を受けた。(後に、自身が代表を務める政治団体がコロナ助成金を受給していたことを巡り辞任した)

3人のうち、総裁選に出馬したことがないのは茂木だけとなったが、派閥の会長に就任後の12月13日に開かれた茂木派の政治資金パーティーに出席した岸田は、茂木が歴任した過去の役職を紹介しながら持ち上げ、場を沸かせた。

「そうなると、残されている国の重要ポストはあと1つ(首相)くらいしか残っていない」

政界に「不穏な空気」が漂った令和2年の正体

ちょうど1年前の年末に書いた記事の冒頭で、「言いようのない『不穏な空気』が充満している。この正体は一体何なのか」と記したが、その予感はある意味、的中した。年末から新型コロナの感染が爆発的に増え、年明け早々に緊急事態宣言を発令。その後、菅政権は、宣言の発令と解除を繰り返す中で、国民の信用や支持を失っていった。当初、政権浮揚効果も期待された東京オリンピック・パラリンピックだったが、開催ギリギリまで感染対策と競技の両立が大きな議論になり、選手や大会関係者はもちろん、政府関係者も無事に開催させること自体に体力を奪われた事実は否定できない。また、菅前首相の「基本的に全て『ワントップ』で物事を決めたいタイプ」(菅氏周辺)と指摘される政策決定のやり方は、日々刻々と変わっていく状況に対応していくことが難しかった。菅氏を支えた官僚の一人は当時を振り返ってこう話す。

「例えばコロナ対応で菅さんが気に入ったワードがあれば、菅さんはそれを好んで外で使って発信するのですが、使っていくうちにどんどんまわりの状況が変わっていくんですね。それをどう(本人に)伝えるかというのが、難しかったですね」

一方、安倍元首相の側近の一人は去年、「岸田さんは『平時の人』。コロナ対応を任せられる人ではない」と評していたが、その岸田氏がいま国のかじ取りを担っている。コロナ対応に携わってきた政府関係者は、「岸田さんはコロナが凪の時に総理になってラッキーだ。これからまた感染拡大期になったときにちゃんとやれるかは未知数」と話す。「オミクロン株」の脅威が国内外で伝えられる中、首相官邸で記者団の前に立った岸田は、日本の水際対策を強化する方針を説明し、こう述べた。

「まだ状況がわからないのに岸田は慎重すぎるという批判については、私が全て負ってまいります」(11月29日)

岸田首相は、外国人の新規入国の原則停止を発表した後、12月22日には、「オミクロン株」に感染した人の濃厚接触者について、自宅ではなく宿泊施設に14日間留まるよう要請するなど、矢継ぎ早に対策を繰り出している。また、新型コロナ対策に関する全体像を自ら国民に向けて説明するなど、「話す力」も磨いているように見える。

来年は、迫りくるオミクロン株の脅威に対しどう立ち向かうのか。コロナ禍での参院選も控えている。2年続けて首相が退陣する「負の連鎖」を止めることができるか。岸田政権は勝負の一年を迎える。

(フジテレビ政治部)

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