市街地の3分の1が焼失した佐世保空襲から76年

1200人以上の市民が犠牲となった佐世保空襲から76年。

長崎県佐世保市の市民文化ホールで6月29日に営まれた追悼式は、新型コロナ感染防止のため規模を縮小して行われ、遺族など10人ほどが参列した。

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1945年6月28日の深夜から翌日未明にかけて、アメリカ軍の爆撃機が焼夷(しょうい)弾を投下。

市街地の3分の1が焼失し、1242人が亡くなった。

戦争の惨禍に対する国民の意識「ますます風化」

式では、当時11歳で祖母とおじ、おばの3人を亡くした臼井寛さん(87)が次の世代への継承の重要性を語った。

佐世保空襲犠牲者遺族会 臼井寛会長:
戦争の惨禍に対する国民の意識は、空襲経験者や遺族の高齢化により、ますます風化する状況にある。二度とこんな悲惨な戦争を起こさないという強い信念をもって、今後とも会員と連携を深め微力を尽くしていく

佐世保空襲犠牲者遺族会の臼井寛会長
佐世保空襲犠牲者遺族会の臼井寛会長

参列者の一人、岩村球枝さん(89)は遺族会の前の会長・秀雄さんの妻で、秀雄さんが2021年に亡くなったため、初めて一人で参列した。

岩村球枝さん
岩村球枝さん

岩村球枝さん:
夫にこの会に参加してほしかったという思いが一番強い

遺族会の前会長 故・岩村秀雄さん
遺族会の前会長 故・岩村秀雄さん

一時は300人以上いた遺族会も会員の高齢化などにより、現在、約160人にまで減っている。遺族や体験者の高齢化が進む中、どのように継承していくかが大きな課題となっている。

実物の焼い弾や当時の服を展示

新型コロナの影響で継承活動も制限される一方、佐世保空襲を語り継ぐ会と遺族会の2つの団体が運営する資料室が2020年にリニューアルされ、今後の平和学習の充実に期待が寄せられている。

佐世保市戸尾町の旧戸尾小学校の中にある「佐世保空襲資料館」。

実物の焼夷(しょうい)弾や当時の服など、直接触ることができる物のほか、遺族から寄贈された写真など約1800点が展示されている。

市が教室を貸し出し、2006年に開設してから1つの教室で資料の展示や保管を行っていたが、保管する資料が増えたことなどを理由に2020年10月、2つの教室に規模を拡大した。

教室が2つになったことで、団体の見学者が講和などを聞くことができるスペースも設けることができた。

佐世保空襲犠牲者遺族会 山口廣光さん(82):
こういう展示室を見せたり、お話しをしたり。そして、分かってもらって。見て体験したことで納得してもらえたら一番いい

佐世保空襲犠牲者遺族会・山口廣光さん
佐世保空襲犠牲者遺族会・山口廣光さん

空襲を直接体験した人が減っていく中で、当時のことを学ぶことができる写真や資料をどのように保管していくのか。遺族会は今後、佐世保市に資料館の管理や運営を要望したい考えだ。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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