密にならないよう少人数で乗り込んだバスの中で、東京電力の担当者は次のように語った。
「視察の受け入れはすべて中止しているのですが、東日本大震災から10年というタイミングできちんと報道してもらうことが必要と考え、受け入れることにしました」
この記事の画像(13枚)東日本大震災から10年。そして、福島第一原発の大事故から10年という節目を迎える。
筆者は震災直後から年に数回、福島の帰還困難区域を含む被災地を訪れていて、5年前からは廃炉に向けた進捗を見るため福島第一原発の敷地内の取材を毎年続けている。
今年は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の発令を受け、2月に予定されていた視察が中止に。緊急事態宣言が延長されたため、いまも受け入れは停止されたままとなっている。
しかし今回、事前にPCR検査を受けて陰性証明書を提出すること、一度に取材する人間をカメラマンも含めて5人以下に制限することなどを条件に、日本記者クラブ取材団の一員として入域することの許可が下りた。
その現場で見た変化や状況などを伝える。
廃炉作業のいま…新型コロナウイルスの影響も
福島第一原発の敷地に到着すると、例年と同じように本人確認などの入域手続きを行なって、一時立入カードの交付を受ける。
一般の視察受け入れを中止していることもあって、新型コロナウイルス対策による目立った変化はない。入り口に消毒液が置かれていたり、受付係員がフェイスシールドをしていたりといった、街で見かける程度のものに気付く程度だった。
職員にコロナ禍での変化を聞いてみたところ、毎日出社前に必ず検温して体調などのチェックシートに記入をしているそう。また、単身赴任で働いているスタッフも多いが、県外の自宅に戻る時には必ず上長に申請するようにしているという。
そうした甲斐もあってか集団感染は発生しておらず、廃炉作業の安全性に影響を及ぼすような事態も起きていないとの説明だった。
敷地内でまず向かったのは、1号機から4号機を見渡せる海抜30メートルの高台。
原子炉建屋からは100メートルほどしか離れていないが、除染などが進み、いまでは市販マスクも含めて装備が一切不要のエリアになった。
3号機では屋上部のプールに保管してあった使用済み核燃料の取り出しが2021年2月28日についに完了。周囲に作業員の姿もなく、静けさに包まれていた。
1号機で続けられていたガレキ撤去は2020年に見たときよりも進んでいる。この位置からは見えないが、核燃料の残るプールに大型ガレキが落ちることのないよう養生バッグを2020年6月に設置したという。
倒壊の恐れを指摘されていた1号機真横の鉄塔を短くする作業も、120メートルの高さから半分の60メートルまでカットされていた。
2020年と比べて確かに状況は改善しているようだが、もちろん完全な抑え込みに成功しているわけではない。
高台を歩きながら線量計をのぞいてみると、毎時75マイクロシーベルトを示していた。その位置からわずか3メートルほど建屋に近づいてみただけで、毎時108マイクロシーベルトに上昇した。風の向きなどでも数字が変わっていく。
目には見えないが、眼下に広がる原子炉建屋から、そこに本来あるはずのないものがいまも確かに放たれ続けているのだ。
また、廃炉に向けた進捗も必ずしも順調とは言えない。
核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」を起こした1号機から3号機。この溶け落ちた核燃料「デブリ」を取り出すのが、最も難しく危険を伴う作業となる。
福島第一原発の廃炉について「中長期ロードマップ」では、冷温停止から30~40年で終える計画になっていて、いまはデブリの取り出しを開始するまでの期間「第2期」。
計画では、2021年12月までに建屋の損傷が少ない2号機でデブリ取り出しに着手して、「第3期」に入るはずだった。
ところが、ここで新型コロナウイルスが影を落とした。
実はデブリの全容はよくわかっていない。高い放射線量で近づくことさえ困難な状況のためだ。
そのため当初の計画では、イギリスで開発中のロボットアームを入れて試験的な取り出しを行ない、デブリの性質や状態を分析したうえで、段階的に取り出し規模を拡大していくことにしていた。
ロボットアームの開発は最終段階まで進んでいて、日本への輸送は1月に予定されていたのだが、イギリスで新型コロナウイルスの感染が急拡大。街がロックダウンされ、開発もストップしてしまった。
イギリスで作業継続を続けた場合は大幅な遅れが避けられないとして、性能確認試験などを日本で実施することへの変更を決定したが、試験的な取り出しは1年程度遅れる見込みだという。
余震発生…明るみになったお粗末な実態
高台からバスで、海抜10メートルほどに立つ原子炉建屋のすぐ真横へ移動した。
事故直後の建屋周辺の放射線量は極めて高く、私が初めて訪れた5年前でも、2号機と3号機の間の道路を通りかかるだけで、窓も開けていないバス車内の線量計から警報音が鳴り響く状態だった。
それが今は、一般服にヘルメット、マスク、メガネ、手袋、靴を追加するだけの軽装備で、手を伸ばせば建屋に触れられるような至近距離まで歩いていけるようになっている。
3号機に近づくと、水素爆発の影響でむき出しになった鉄骨や曲がった配管、津波が運んだガレキによってつけられた無数の傷が目に飛び込んできた。
3号機では、当初の予定より4年4ヵ月遅れたものの、プールに残っていた核燃料566体の取り出しが先月末に完了し、次はデブリの取り出し開始を待つ状態となっている。
メルトダウンを起こした1号機から3号機の中で、核燃料の取り出しを終えたのは3号機が初めて。事故の爪痕は残っているが、大きな前進をしたと言えそうだ。
ただ、一歩進んだとしても、「待つのみ」というわけにはいかないのが廃炉という作業の難しさだ。
各号機とも「冷温停止状態」を維持するため注水を続けているが、これによって汚染水の発生が続いている。時間が経てば経つほど汚染水は増えていくが、貯めておく巨大タンクを設置するスペースも限界に近づいている。
現場のどこへ行っても目に入る巨大タンク群は、対策が急務であることを実感させた。
また、爆発で大きなダメージを受けた建屋の状態を現状維持することも容易ではない。
2021年2月13日午後11時7分ごろ、福島県沖を震源とする地震が発生。相馬市などで震度6強の揺れを観測し、福島第一原発周辺でも震度6弱の激しい揺れに見舞われた。2011年3月11日に起きた東日本大震災の余震と見られている。
近くの寮にいた東京電力の職員も、どこかで運転停止していないか、戦慄を覚えたという。
「津波が来なくて、本当に良かったです」
運転停止はしなかったものの、この地震のあと1号機と3号機で原子炉格納容器の水位がいずれも数十センチほど低下していることが確認された。10年前にできた損傷が広がり、漏れている水の量が増えたと考えられている。
水位の低下傾向は落ち着いてきているというが、それでもまだ低下が止まったわけではない。デブリは水没しているとみられ、注水を続けていれば現状は安全性に問題がないとしているが、そもそも水がどこから漏れ出ているのか正確にはわかっていないなど、とても楽観できる状況にはない。
また、水位の低下にともなって格納容器の圧力も低下している。放射性物質の外部への漏れは認められず、爆発のリスクもないというが、こちらもやはり緊張を解くわけにはいかない。
そんな細心の注意が求められる現場だが、2021年2月の地震では耳を疑うような事態も発生した。
3号機に設置していた地震計が2台とも故障していて、震度データを取得できていなかったことが明らかになったのだ。
2020年7月の大雨で故障し、東京電力ではその事実を把握しながら修理をしていなかったという。
なぜこんなことが起きるのだろうか。そのままにしていた理由を現場で尋ねてみた。
すると、故障した3号機の地震計は余震などによる建物の影響評価をするために試験的に設置したもので、原発の敷地内には別の震度計が存在しているため問題ないと考えていたとの説明を受けた。
本格運用前だったかもしれないが、実際に大きな余震は発生し、その日の3号機の揺れに関するデータは記録できなかった。今回の揺れに限らず、大小様々な地震のデータを取得して、原子炉建屋への影響を丁寧に把握しておく重要性は誰の目にも明らかだ。
地震計の設置や報告が義務でなかったとしても、お粗末であったと言わざるを得ないだろう。
3時間ほどで現場取材を終えた。取材後に計測した積算線量は0.04ミリシーベルト。胸部X線検査1回相当の0.06ミリシーベルトにも届かない数字だった。
「だから安心」ではない。仮に、こうした数値で油断や緩みが生じているとしたら、極めて危険だと感じた。
東日本大震災から10年。廃炉の終了までは、早くても今から20年後。長い闘いがこれからも続く。
【執筆:フジテレビ 清水俊宏】